最近、熊の出没が全国各地で相次いでいます。
ニュースで「住宅地の近くに熊」「通学路で熊を目撃」といった見出しを見て、不安を感じた方も多いのではないでしょうか。
なぜ今、熊が人里に現れるのでしょうか? そして、私たちはどう備えればよいのでしょうか。
これまでの対策といえば、見回りや電気柵の設置といった人力が中心でした。しかし、出没件数が年々増加する中、もはや人の手だけでは追いつかない状況です。そんな中、各地で注目を集めているのが——AIやドローン、IoTを活用した「熊対策DX」です。
AIカメラが自動で熊を検知し、ドローンが上空から行動を追跡。さらにクラウドで出没データを共有し、住民のスマホへリアルタイム通知——。かつて想像もできなかった「テクノロジーで命を守る時代」が、今まさに始まっています。
本記事では、世界と日本で進む最新の熊対策DX事例をまとめ、「技術」と「地域の知恵」がどのように融合しているのかを、わかりやすく解説します。
なぜ今、熊対策にDX(デジタル変革)が必要なのか

なぜ今になって、熊の出没がこれほどまでに増えているのでしょうか。
かつては山の奥で暮らしていた熊たちが、近年では住宅街や通学路にまで現れるようになりました。そこには、気候変動・森林環境の変化・人口減少による里山の管理不足といった複数の要因が重なっています。
特に問題なのは、「人が熊に気づくまでの時間」が長すぎることです。通報が届く頃には熊が別の地区へ移動していたり、夜間や早朝など人の少ない時間帯に行動していたりと、現場対応の遅れが深刻な課題となっています。
従来の見回りや電気柵、音による威嚇といった対策は、一定の効果を持ちながらも、人手不足・広域化・高齢化の波に押されて限界を迎えています。「すぐに対応したくても人がいない」「山の奥まで確認できない」——。この空白の時間と空間こそが、被害拡大の温床となっているのです。
そこで今、求められているのが「情報の即時共有」と「先回りできる仕組み」です。つまり、熊の動きを後追いするのではなく、データをもとに危険を予測し、地域全体で備える体制をつくること。これが「熊対策DX(デジタル変革)」の本質です。
DXとは単なる技術導入ではありません。現場の経験や地域の知恵をデータで補い、人とテクノロジーが協働する安全システムへと進化させる考え方です。熊との共存を現実的に進めるためには、この発想の転換が欠かせません。
世界の最新テクノロジーによる熊対策事例

熊の出没は、日本だけの問題ではありません。欧州からアジア、アフリカに至るまで、野生動物と人間の生活圏が重なり、同じような「人と動物の衝突」が各地で起きています。その中で各国が取り入れているのが、AIによる行動予測とIoT監視ネットワークです。
欧州ブルガリア「Human–Bear Conflict Radar」
ブルガリアでは、Wageningen大学が主導する「Nature FIRST」プロジェクトの一環として、Human–Bear Conflict Radar(HBCレーダー)というAI分析システムが導入されました。この仕組みは、スマートフォンアプリ「Cluey」を通じて熊の目撃情報を収集し、
AIが地形・植生・気象・過去の出没履歴を掛け合わせて「衝突リスク」を可視化するものです。そのデータはリアルタイムで地図に反映され、自治体やレンジャーが先回りして対応可能になりました。結果として、出没対応の初動時間が大幅に短縮され、誤報も減少したと報告されています。
中国チベット高原「Intelligent Bear Prevention System」
中国・チベット高原では、広大な放牧地を守るためにAIカメラを設置し、熊を高精度で識別する「Intelligent Bear Prevention System」が開発されました。このシステムはYOLO(物体検知AI)モデルを活用し、熊と他の動物を判別。検出精度は91.4%に達し、夜間でも赤外線カメラで識別が可能です。熊を検知すると自動でアラートを発し、管理者や村落のスマホへ通知。人手を介さずに「発見→警報→回避行動」を自動で行える仕組みが実現しています。
ケニア「IoT+SMS警報ネットワーク」
一見、熊とは関係のない地域に思えるケニアでも、人と野生動物の衝突を防ぐためにAIと通信技術を組み合わせた対策が進んでいます。サファリ地帯では、IoTセンサーとSMS通知システムを用い、野生動物が人里に接近すると、近隣住民と警備チームに自動で警報を送信。
通信環境が不安定な地域でも使えるように、低電力・低帯域で設計されています。この取り組みは、熊対策そのものではないものの、「データでリスクを予測し、地域全体で守る」という思想において非常に示唆的です。
世界が示す共通点——先手を打つ防災への転換
これらの事例に共通しているのは、単なる監視や撃退ではなく、「出没を予測し、行動前にリスクを下げる」という発想です。AIやIoTは熊を排除するための道具ではなく、人と野生動物の距離を安全に保つ境界線の管理者として機能しています。テクノロジーは敵を見張るためではなく、共存を可能にするために使う。それが、世界が今向かっている新しい方向性です。
日本の事例|自治体と企業が進める「熊対策DX」最前線

海外で進むAIやIoTを活用した野生動物対策は、今、日本の地方自治体でも着実に広がりつつあります。山間地や中山間地域を抱える自治体では、熊の出没対応を経験と勘からデータと連携へと変える動きが始まっています。
富山県|AIカメラと遠隔監視で初動を1時間→10分に短縮
富山県は、全国の中でもいち早く「熊対策DX」に踏み切った自治体です。県内では2023年から、山際にAI搭載カメラを設置し、熊の動きを自動検知。撮影データはクラウドを経由して関係機関へ即時送信され、職員が現地に赴かずとも出没場所・時間・頻度を可視化できるようになりました。結果、通報から初動までにかかる時間は平均1時間以上から約10分に短縮。出没の見逃しゼロ化に近づきつつあります。
この取り組みは、国の「デジタル田園都市構想」コンテストでも優良事例として紹介されました。AI監視システムが実際の安全行動につながるという点で、熊対策DXのモデルケースといえるでしょう。
山形県|ドローンと住民協働で市街地出没を防ぐ
山形県では、市街地への熊出没が相次ぐ中、「クマ市街地出没等緊急対策モデル事業」を立ち上げました。鶴岡市や米沢市の一部地区では、藪の刈払いをドローン映像で計画的に実施し、熊の潜み場を減らす環境整備型のDXを進めています。また、住民参加型のアプリを導入し、熊の目撃情報を地図上に共有。行政・住民・研究機関が同じ情報をリアルタイムで把握する仕組みを構築しました。これは「地域DX」の観点からも重要な一歩です。
岩手県北上市|地域ぐるみで餌付け・誘引物を管理
岩手県北上市では、最新技術よりも情報と行動のネットワーク化に重点を置いています。
農地周辺の果樹・廃棄物・堆肥など、熊を引き寄せる要因をデータ化し、地域全体で「餌を出さない環境」を整備。AIセンサーの導入も進められており、将来的には出没傾向を予測して農地管理を最適化する計画も検討されています。技術と地域意識が融合した、人中心型DXの好例です。
島根県|スマート電気柵で農地を守る
島根県では、WWFジャパンと連携して「モデル柿園プロジェクト」を展開。電気柵にセンサーを組み込み、侵入を検知すると自動通知が届くスマート防護システムを導入しました。
これにより、夜間の被害が大幅に減少。センサー情報は集約され、次年度の設置計画にも活用されています。単なる防御ではなく、データを通じて地域資源の保全計画を立てる点が特徴です。
ドローン・AI・IoTが変える「見回り・監視・分析」

人が足で巡回して熊の痕跡を探す——。そんな見回り型の対策は、長年続いてきた伝統的な手法です。しかし、広い山間地域や夜間など、人の目が届かない時間帯が増える中で、
見落としや対応遅れが避けられない現実もあります。その「空白の時間と場所」を埋める存在が、ドローン・AI・IoTです。これらの技術は、人が動けない場所で代わりに見張り、
危険を検知した瞬間に知らせることを可能にします。
AIカメラが担う「自動検知と識別」
AIカメラは、映像データから熊だけを識別し、人・犬・鹿など他の動物と誤認しないように設計されています。学習データを重ねることで識別精度は向上し、熊の姿や動きだけでなく、「熊が通りそうな道」まで予測可能になっています。これにより、監視員が常駐できない地域でも、AIが24時間見守るパートナーとして機能し始めています。
ドローンが補う「上空からの俯瞰監視」
ドローンは、AIカメラと並んで熊対策の現場で急速に普及しているツールです。上空から山林や集落周辺を巡回し、赤外線カメラで熱反応を検知。夜間や濃霧でも熊を見つけることができ、発見情報はリアルタイムで地図アプリに反映されます。特に山形や富山のように、地形が入り組んだ地域では、「見えない危険」を可視化するための重要な手段となっています。
IoTによる「即時共有」と「行動分析」
IoT(モノのインターネット)は、現場と住民をつなぐ役割を果たしています。センサーやカメラが検知した情報はクラウド上で共有され、自治体・警察・地域住民のスマホへ同時通知。さらにデータは蓄積・解析され、季節・時間帯・場所ごとの出没傾向を分析できます。
こうしたデータドリブンな熊対策により、「危険エリアを先に通報」「登下校ルートを回避」といった行動の先手が可能になっています。
人の感覚と技術が組み合わさる新しい防災
重要なのは、これらの技術が人の代わりをするのではなく、人の感覚を拡張する補完装置であることです。地元の猟友会や自治体職員の経験に、AIの予測やドローンの映像が重なれば、判断はより確実になります。「勘と経験+データの裏付け」こそが、DXの真価といえるでしょう。
共存社会への鍵|技術だけでは防げない人の意識と行動
AIもドローンも、確かに強力なツールです。しかし、それだけで熊との衝突を完全に防げるでしょうか。どれほど高性能なカメラを設置しても、餌となる果樹やゴミが放置されていれば、熊は再び戻ってきます。つまり、根本にあるのは人の暮らし方と意識の問題なのです。
誘引要因をなくす「環境整備」が第一歩
熊を里に引き寄せる最大の要因は、人間が無意識に残す「誘引物」です。放置された果樹、収穫後の作物くず、未管理の生ゴミ。これらは熊にとって格好の食料源であり、「人里は安全で食べ物がある」と学習させてしまいます。そのため、住民や自治体が協力して、ゴミの出し方や果樹管理を徹底することが重要です。AIやセンサーで出没を検知する前に、熊を呼び寄せない環境を設計することが本質的な対策といえます。
里山の管理と地域文化の再生
もう一つの課題は、手入れの行き届かなくなった里山の存在です。過疎化や高齢化により、藪が放置され、熊が潜む隙間が増えています。山と人の距離が広がるほど、境界が曖昧になり、出没リスクは高まります。この「境界の緩み」を取り戻すためには、地域での共同作業や若年層の参加を促す仕組みが欠かせません。ドローン映像で整備箇所を可視化し、ボランティアや地元企業が協働する——。そんな現代版の里山再生プロジェクトが、各地で芽生え始めています。
教育とコミュニティで築く「共存のリテラシー」
熊との共存は、単なる防災ではなく学びのテーマでもあります。子どもたちが熊の生態を理解し、「怖いけれど、守るべき自然でもある」と感じること。登下校時の安全教育に加え、学校や地域イベントで「熊の行動と人の影響」を学ぶこと。それが将来のリスクを減らす最も確実な投資です。テクノロジーが警報を出す社会から、人が先に考えて行動する社会へ。この意識の転換が、真の共存社会への第一歩になります。
課題と展望|AI・ドローン活用の限界と今後の展望
AIやドローンを中心とした熊対策DXは、確かに画期的な一歩です。しかし、その導入が進むほどに、いくつかの課題も浮かび上がっています。「技術が進めばすべて解決できる」わけではないのです。
コストと運用体制の壁
AIカメラやドローンは高精度である一方、設置や維持には相応のコストがかかります。電源や通信環境が整っていない山間地では、機器が故障してもすぐに修理できず、「監視網の空白」が生まれるケースもあります。また、ドローンの運用には操縦資格や飛行許可が必要であり、自治体や地域ボランティアが自力で運用するには人的負担も大きいのが現実です。
データ管理とプライバシーの課題
AIカメラが24時間稼働するということは、常に映像データが記録されるということ。人や車両などの個人情報が含まれる可能性もあり、映像の保存・利用範囲には慎重なルールづくりが求められます。「安全のため」とはいえ、監視社会化への懸念を払拭するためには、透明性と説明責任が不可欠です。
動物福祉と生態系への影響
AIによる監視やドローンの飛行が、熊にストレスを与える可能性も指摘されています。野生動物を監視対象として扱いすぎれば、本来守るべき自然との関係が損なわれかねません。熊を「排除する対象」ではなく、「共に生きる存在」と捉え直す視点が求められます。
今後の展望——「連携とデータの共有」が鍵に
こうした課題を乗り越えるためには、技術単独ではなく、自治体・研究機関・民間企業・地域住民が一つのデータエコシステムを築くことが重要です。センサーやドローンが集めた情報を共有し、国や大学が分析、地域が活用する——そんな循環型の熊対策DXが理想です。
さらに、AIの進化により、出没リスクを時系列で「予測」するフェーズへの移行も見込まれています。つまり、未来の熊対策は「出没を察知する」から「出没を防ぐ」へ。予測データが行動を導く時代が、もうすぐそこまで来ています。
まとめ
熊の出没は、もはや一部の山間地域だけの問題ではなくなりました。それでも私たちは、恐れるだけでなく、備えながら共に生きる知恵を持つことができます。AIやドローン、IoTといった技術は、そのための強力な味方です。リアルタイムで危険を知らせ、見えなかった場所を可視化し、人と自然の境界を「感覚」から「データ」へと置き換える。これは単なる防災の進化ではなく、共存を設計する社会への第一歩です。
しかし、最後に問いたいのは——「テクノロジーがあるから安心」と言える社会を、本当に私たちはつくれているでしょうか?最終的に行動するのは人であり、地域のつながりです。
熊対策DXの真価は、人が考え、判断し、共に守る仕組みを支えることにあります。
これからの時代、熊と人が交わる境界はますます曖昧になります。だからこそ、AIが見張り、ドローンが空を巡り、そして私たちが冷静に「次の一歩」を選ぶ社会へ——。
それは熊を排除する社会ではなく、熊と共に安全に暮らせる社会をつくる挑戦です。
テクノロジーと地域の力で、私たちはその未来を描くことができるのです。
















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